ぶりにまつわるあれこれ話
- 雷鳴がブリを招く。
- 冬、富山湾に雷鳴が鳴り響き、海が荒れることを通称「ぶり起こし」と呼びます。
魚津港でも定置網のブリが水揚げされ、またこの時期のブリは身が締まり、脂がたっぷりのった「寒鰤」とされます。
遠方のかたにも、美味しいブリを味わってほしいと先人たちは、冬の風物詩「汐ぶり」を生み出しました。それは今でも魚津の職人によって伝統が受け継がれています。新鮮な生ブリに包丁をいれ、塩・塩水に漬け込み寒風にさらすことで、生ブリでは味わえない、「汐ぶり」特有の熟成された旨み(味わい)を引き出しています。
- 娘婿の出世を願って。
- 富山県では、娘の嫁ぎ先への年末・年始のご挨拶に出世魚の「鰤」を送ります。出世魚の如く娘婿の出世を願う義父母の気持ちでしょうか。地域によっては「半返し」と言い、片身や切身にして頂いたお嫁さんの実家にお礼として届ける風習もあります。
- 神事にもブリを用いる。
- 加茂神社(富山県射水市)にて行われている「鰤分け神事」は平安時代から伝わるお祭りごと。毎年、元日に氏子らが「汐ブリ」を神前に捧げ、家々の繁栄や無病息災を祈り、お下がりを頂くという神人共食の古い形式を残す神事です。
また、信州地方では年末に神棚や床の間に汐ブリの切身や尾をお供えする風習があります。1年間の健康と幸福を願い、感謝の気持ちでお供えします。
- ブリ街道。
- 江戸時代から昭和初期にかけて、富山から越後糸魚川や飛騨高山を経て信州へ汐ブリを届けたという歴史があります。「ブリ街道」を幾日もかけて歩荷が担いました。 酒粕で煮る、茹でる、塩抜き後焼く等・・・。地域により、食べ方も様々です。 文禄の頃(1590年代)古くは、前田利家が豊臣秀吉に、「汐ブリ」を献上したというお話があります。